【風、薫る】バーンズ先生の“6つの種”は生きていた!ツヤとヒデ11年ぶり再会で見せた予想外の姿と伏線回収 (6/8ページ)

Japaaan

⚫︎大日本婦人衛生会(私立大日本婦人衛生会)の組織

「婦女子に衛生知識を普及し、社会の幸福を増進すること」を目指して明治20年(1887)頃に設立された組織です。

荻野吟子が幹事として中心的役割を果たし、鈴木雅も参加して組織に関わったそう。皇族の依仁親王妃周子が総裁を務め、大山捨松や鍋島栄子など上流層の女性も参加していました。

⚫︎『婦人衛生雑誌』(『婦人衛生会雑誌』)の刊行

大日本婦人衛生会の機関誌として1888年頃から発行した『婦人衛生雑誌』は、衛生講演の内容や、家庭衛生・育児・婦人病予防などの知識を広めるための雑誌です。

荻野吟子は創刊号に「本会設立の主旨」を寄稿しています。鈴木雅もこの普及・啓発活動に貢献したとされています。

荻野吟子(wiki)

看護婦を増やすため育成する立場へ

『風、薫る』もラストが近づいています。
そのため、なつかいの過去の登場人物が登場していますよね。

看護婦養成学校にて、バーンズ先生が看護婦の種を蒔いてから10年くらい。

ちょうど、大関和も鈴木雅は38歳ごろでしょうか。

まだ学生の頃に「Notes on Nursing(看護覚え書)」を苦労して読み、学び、大学病院で実地の体験を積み、二人ともさまざまな場所で“看護”とはなにか“看護婦”とはどのような仕事かを、地道に人々に教えてきました。

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