【豊臣兄弟!】蜂須賀正勝(高橋努)の息子は徳川へ…父の志を継ぎ豊臣家滅亡まで見届けた家政の生涯【後編】 (3/7ページ)
急きょ本国へ呼び戻された家政は、領国での蟄居と、蔵入地の没収という厳罰に処せられてしまいました。
この処分には石田三成(松本怜生)による意向があったと考えられ、家政は加藤清正や黒田長政らと共に三成へ遺恨を抱くようになります。
不当に貶められてしまった家政に対して救いの手を差し伸べたのが徳川家康(松下洸平)で、家政らが朝鮮半島において十分な武功を立てたことなど、秀吉にとりなしてくれました。
それがどれほど効果があったのかはともかくとして、家政らは家康に急接近することになります。
秀吉の死から関ヶ原まで
やがて慶長3年(1598年)に秀吉が世を去り、豊臣政権の重鎮であった前田利家(大東駿介)も慶長4年(1599年)に世を去ると、豊臣政権はいよいよ揺らぎつつありました。
家政はこれまでの怨みとばかり、加藤清正・浅野幸長・福島正則・黒田長政・藤堂高虎(佳久創)・細川忠興(ほそかわ ただおき)らと共に三成の襲撃を図ります(七将襲撃事件)。
また嫡男の蜂須賀至鎮(よししげ)と家康の孫娘である万姫(まんひめ。敬台院)の婚姻を進めるなど、明らかに親徳川派として活動するようになりました。
晩年の秀吉にはついていけなかったし、三成には恨みがあるし、そして家康に恩義と三拍子そろってのことでしょう。
一方そのころ、妹の糸姫が嫁いでいた黒田長政から離縁され、蜂須賀家へ返されてしまいました。