【豊臣兄弟!】清兵衛(伊藤健太郎)&盤覚(坂口涼太郎)は実在?史実で探る「秀長vs興福寺」激突の裏側 (2/7ページ)

Japaaan

興福寺領の村の庄屋という立場を通し、当時の領民の苦労や秀長との折衝などを描くために設定された、ドラマオリジナルの人物かと思います。

ちなみに「庄屋」という呼び名は、中世の荘園の「荘(庄)」に由来、もともとは荘園で管理にあたる者の屋敷や役目を指す言葉が由来だったそう。

江戸時代になり広く定着したものですが、西日本は庄屋、東日本は名主と呼ぶことが多かったといわれています。

村の“長”として働く役人のようなもので、領主の側からすれば村に年貢を納めさせる窓口、村人からすれば村の暮らしを取り仕切る総まとめ役。

(余談ですが、「今日から俺は!!」の伊藤VS今井の戦いを思い出す人もいるのでは…)

石川清兵衛(伊藤健太郎)(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より)

石川清兵衛は、なぜ興福寺に年貢を納めていたのか

年貢と聞くと、“領主”に納めるものとイメージすることが多いもの。けれども、清兵衛の村では田の広さに見合わないほどの高い年貢を、払い続けていました。

その背景にあるのが、戦国時代の大和の土地は、興福寺が支配する領地だったためです。

平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また、鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。文禄4年(1595)の検地では「春日社興福寺」合体の知行として2万1千余石と定められ、徳川政権下においてもその面目は保たれました。

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