【豊臣兄弟!】半兵衛(菅田将暉)を号泣させた“あの赤ん坊”が成長!秀長の娘・末(池端杏慈)史実での正体とは? (5/8ページ)
ドラマの慶の名前は、高野山奥之院の石塔銘などに「慈雲院芳室紹慶」「芳室慈雲院紹慶大禅定尼」とあり、そこから「慶」ととったそうです。(近年の研究では「慈雲院」が正しいとされます)
秀長の子どもたちは、人数・生母・名前に異同はありますが、近年の説では以下のようになっています。
⚫︎長男・羽柴(木下)与一郎:
慈雲院との間の実子と推定。永禄11年(1568)頃生、天正10年(1582)頃早世(元服後)、死亡した原因などには諸説あるようです。
一次史料では存在の確認が難しいようですが、江戸時代の文献『森家先代実録』『高山公実録』『駒井日記』『多聞院日記』などで存在が伝えられるそうです。
ドラマでは、慶の連子でしたが、初陣で弓矢に射抜かれたことが原因で亡くなり、秀長夫妻に大きな打撃を与えました。
⚫︎長女(名前不詳):
天正15年(1587)頃の生まれで、母は側室・摂取院光秀(光秀尼)とする説が有力のようです。
天正19年に豊臣秀保(三好吉房と豊臣兄弟の姉・ともの子)と4〜5歳で仮の婚儀、文禄3年に正式に結婚しますが、その後の消息・没年・法名などはわかっていません。
⚫︎次女・おきく(大善院):
天正16年(1588)頃の生まれで、秀吉の養女として毛利秀元に嫁ぎ、慶長14年(1609)没しました。
生母は摂取院光秀とする説と、別の「きくの母」(名前不明の側室・妾)とする説があります。
⚫︎養女・岩(智勝院):
那古野氏の娘。