【豊臣兄弟!】半兵衛(菅田将暉)を号泣させた“あの赤ん坊”が成長!秀長の娘・末(池端杏慈)史実での正体とは? (6/8ページ)
与一郎の妻だったが夫が早世した後、秀長・慈雲院の養女になり、のち森忠政と再婚し継室に。忠政との間に2男3女をもうけました。
⚫︎養子・藤堂高吉(千丸):
丹羽長秀の三男で秀長の養子に。与一郎早世後に一時後継候補になるも、のち藤堂高虎の養子になりました。
⚫︎養嗣子・豊臣秀保
姉・ともの三男で、秀長家を継ぐも、文禄4年(1595)17歳頃で早世し、家は断絶しました。
「末」のモデルは長女か次女か
ドラマでは、秀長と慶の間に生まれたひとり娘として描かれている「末」。
モデルとする人物は、豊臣秀保に嫁ぐ長女なのか、秀吉の養女として毛利秀元に嫁ぐ次女なのか……どのように描かれていくのでしょうか。
第23話『さらば半兵衛』で娘が誕生したとき、喜びに震えながら「名をなんとしようか?」と言っていた小一郎。
どんな名を名付けるのかと思っていましたが、長女なのに「末」は意外な気がしていました。
「豊臣兄弟!」の時代考証を担当している、駿河台大学法学部教授・黒田基樹氏によると
また秀長と慈雲院殿のあいだには、それ以外にも、天正9年(1581)までに、「御末」という娘が生まれていたと推定されます。