【豊臣兄弟!】実際にあった興福寺の呪詛!怪演・磐覚の“仏罰”の元ネタ「名を籠める」の威力が凄まじい (4/7ページ)
3つの顔はそれぞれ微妙に表情が異なり、戦いの神であった阿修羅が、仏教に帰依して悟りを開いていく姿を表現しているそうです。
木造金剛力士立像も、同じく鎌倉時代のもので興福寺の国宝です。
そのポーズを興福寺の僧に取り入れるのは面白い演出だったと思います。
史実に伝わる「名を籠める」呪詛の儀式
実は、室町時代、名前を書いて相手を呪うという、「名を籠める」呪詛のような儀式が存在していました。
文明18年(1486)の3月、大和国最大の荘園領主だった興福寺は、年貢を横領して一銭も納めない箸尾為国(はしおためとも)に談判するも話し合は決裂。
罪状・名前・日付を記した紙片を仏前に捧げて、その身に災厄が降りかかるよう祈る「名を籠める」儀式を行いました。
紙片は、興福寺の5社7堂に籠められ数多くの僧が読経で為国を呪いました。すると、翌月、箸尾が支配する村では「悪病」が流行し100以上もの人々が続々と死んでしまうという出来事が起こり、「名を籠める」呪詛の影響だと人々は恐れたそうです。
呪詛の方法としては、七堂のひとつである南円堂に「仮屋」を建て、そこに多数の興福寺の僧侶が集結して一斉に般若経を転読する「南円堂郡参大般若」が一般的だったのではないかと思われる。(名字を籠める」という刑罰について/九州大学学術情報リポジトリ)
また、寛正5年(1464)にも前例が。