【豊臣兄弟!】実際にあった興福寺の呪詛!怪演・磐覚の“仏罰”の元ネタ「名を籠める」の威力が凄まじい (6/7ページ)
この地蔵は、郡山城に現存しているもので、なかでも『さかさ地蔵』と呼ばれている逆向きに置かれた地蔵が有名。(天守台の裏手、北側の石垣)
石組みの隙間から覗き込むと、逆さになった状態の地蔵を確認できるそうです。なんだか罰が当たりそうな気もします。
転用石のことは、興福寺の塔頭である「多聞院」の僧侶が残した『多聞院日記』にも逆さ地蔵のことが記されているとか。
転用石の多くはわざわざ正面中央部など、人目につく部分に使用されているのは、「領主と領民が一体となった」というアピールでもありますは、石を提供してくれた領民への礼(サービス)でもあたったという説もあります。
大和郡山城のさかさ地蔵(photo-ac)
「仏罰」?から救った秀吉の『祇園社」のお札石垣に用いた地蔵に手を合わせて詫びる秀長。そこに慶(吉岡里帆)が秀吉からの文を持ってきます。
声をかけられて腰を上げその場を立ち去った瞬間、頭上でヤグラを結んでいた縄が切れました。
あわや、石垣の下敷きになるところだった秀長。
慶が持ってきた文を開くと、そこには『祇園社』(現在の八坂神社)のお札が。(これ、秀吉が茶々(井上和)にあげて「無用にございます!」と返されたものでしょうか)
石垣崩壊は本当に仏罰がくだった?と思わせる場面でした。
けれど、祇園社のご利益が勝りましたね。
お札は、秀長にもらった羽織の紐がきれ不穏に感じた秀吉が送ったものでした。