【豊臣兄弟!】秀長が頼るキーマン・才蔵(間宮祥太郎)は実在した?郡山繁栄を起こす『起爆剤』 (2/7ページ)

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秀長と筆屋の才蔵。(NHK大河「豊臣兄弟!公式「X」より)

中小商人や職人は新規開業のチャンス

前回第37回『秀長の国』。で描かれたように、 秀長は天正13年(1585)9月に秀長郡山城入りし、すぐに寺社領の検地を行い年貢の流れを寺社から国主・秀長へと切り替えました。

さらに、商業も把握。

『多聞院日記』(興福寺多聞院の僧・英俊の日記)の天正13年10月15日条 によると、

「奈良中の商売が禁止。味噌・酒・柴木・菜・海苔・硫黄など生活品まで郡山で売り買いするよう命じられた」と記されているそう。

門前町として商業の中心地だった奈良は、長年、興福寺や春日社などの寺社が支配し、商人は『座』(寺社を本所とする組合)に属し、独占権を持っていました。

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