【ブラッサム】珠の同級生・角田忍が憧れた「平塚らいちょう」とは?『青鞜』が女学生の心を揺さぶった理由 (2/9ページ)
平塚らいちょうに憧れ、同人誌を作る角田忍。(NHK「ブラッサム」公式「X」より)
「女性を人として教育」に感銘を受けたらいちょう平塚らいちょう(らいてう)の、本名は明(はる)といいます。
明治19年(1886)2月10日、東京市麹町区土手三番町(現在の千代田区五番町)の裕福な家庭に生まれました。父は明治政府の高級官吏で教育熱心だったそうです。
女性が自由に生きられない社会に疑問を抱いたらいちょうは、日本女子大学の設立者、成瀬仁蔵(なるせじんぞう)が書いた『女子教育』に感銘を受け、第3回生として家政学部に入学しました。
仁蔵は、“女性が本を読むことを恥とし夫の奴隷となっている国”の例などを挙げ、無学文盲で婦女の真価を持たない国は「文明開化の幸いなく」と述べていたそうです。
「昔よりどの国にても女の価値をしらずして持たざ る国は必ず開花することなし。」(成瀬仁蔵の女子教育思想-「婦女子の職務」から-永藤清子)
仁蔵は、明治時代「人=男性」を意味していた社会の中で「女性を人として教育すること」を第一に掲げた、日本における女子高等教育開拓者の一人です。
さまざまな批判を受けながらも、女性の覚醒と自立を促し、教育全般の改革に力を注ぎました。