【ブラッサム】珠の同級生・角田忍が憧れた「平塚らいちょう」とは?『青鞜』が女学生の心を揺さぶった理由 (4/9ページ)
(日本女子大学 女性・平和運動のパイオニア 平塚らいてう)
「元始、女性は太陽であった」で知られる『青鞜』の創刊
らいちょうの生涯を代表する出来事のひとつが、明治44年(1911)に青鞜社を設立し、文芸誌『青鞜』を創刊したことでしょう。
当時25歳だったらいちょうは、評論家で小説家でもあった生田長江に女性だけの文芸誌の発行を勧められます。
さらに、日本女子大学の同窓生に後押しされ、女性の知友と共に発起人となりました。
創刊の辞に記された「元始、女性は太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」という言葉は、女性が本来持つ力を取り戻そうという強いメッセージでした。
この言葉は、「ブラッサム」の忍のように、社会から抑圧され息苦しい思いをしていた女性たちの心に深く響き、雑誌は大きな反響を呼んだそうです。
下の写真は、凛とした佇まいの女性の全身像が描かれている『青鞜』の表紙です。
当時の日本女性の絵画というと、着物姿で控えめ、従順な雰囲気のイメージが多いように感じますが、この女性は強い視線を上に向け堂々とした姿勢が特徴。
「新しく自立する女性」というイメージを出したのでしょうか。