【豊臣兄弟!】3歳で散った儚い命…茶々(井上和)と秀吉の“初めての子” 鶴松、溺愛の果てに訪れた絶望 (3/7ページ)

Japaaan

秀吉の親バカぶりが、とても微笑ましいですね。

そんな鶴松の傳役(もりやく。教育係)には譜代家臣の石川光重(いしかわ みつしげ)が任じられました。

鶴松が生後30日を迎えたお祝いでは、朝廷から産衣(うぶぎぬ)や様々な祝儀品を賜ったほか、多くの人々からお祝いが寄せられます。

中でも蒲生氏郷(がもう うじさと)は、祖先の藤原秀郷(ふじわらの ひでさと。俵藤太)が大ムカデを退治した鏃(やじり)を刀に仕立て直したものを贈りました。

秀吉の脳裏には、妖怪退治の名刀を奮って戦場で大活躍する「八幡太郎」の勇姿が浮かんだかもしれませんね。

さて、生後4ヶ月を迎えた9月13日に、秀吉は茶々と鶴松を大坂城へ迎え入れました。この日が来るのを、待ちきれなかったことでしょう。

秀吉の正式な後継者が定まった祝いとして、後陽成天皇(ごようぜいてんのう。第107代)から太刀を賜ったほか、この時も多くの祝儀品が贈られました。

そして淀城から大坂城まで、茶々と鶴松は絢爛豪華な大行列で向かったそうです。人々の注目を集めながら、茶々は天下人のような気分を味わっていたことでしょう。

天下一統より大事な我が子?

豊臣鶴松(画像:Wikipedia)

茶々と鶴松は天正18年(1590年)の年明けを大坂城で迎え、2月13日には京都の聚楽第(じゅらくだい)へ移りました。

やがて秀吉が小田原征伐(対 北条氏政・北条氏直)で関東へ出征すると、鶴松は大坂城へ入ります。

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