【豊臣兄弟!】3歳で散った儚い命…茶々(井上和)と秀吉の“初めての子” 鶴松、溺愛の果てに訪れた絶望 (6/7ページ)
『豊臣兄弟!』「夢のまた夢」あの辞世の句を生んだ秀吉の感性|師・細川幽斎と紡いだ亡き子への想い
傳役であった石川光重の計らいで葬儀を妙心寺(京都市右京区)で執り行い、祥雲院殿玉厳麟公神童(しょううんいんでん ぎょくげんりんこうしんどう)の戒名が送られます。8月7日に秀吉は心身を鎮めるために清水寺へ参詣し、8月9日には有馬温泉へ湯治に向かいました。もちろんそれで秀吉の気鬱が晴れることはなかったでしょう。
やがて秀吉は方広寺(京都大仏)の隣に鶴松の菩提寺を建立することを決めました。文禄2年(1593年)に完成した祥雲寺の開山には南化玄興(なんか げんこう)を迎え、棄丸人形像(豊臣鶴松像)を祀らせます。寺には300石が寄進され、鶴松の遺品やかつて蒲生氏郷が贈った名刀などが奉納されたということです。
終わりに今回は秀吉と茶々の間に誕生した嫡男・豊臣鶴松の生涯をたどってきました。
鶴松を喪った悲しみから、二度と子供は捨てまいと思ったのでしょうか。次に生まれた男児には拾丸(ひろいまる。後の豊臣秀頼)と名づけて、大切に大切に育て上げたのでした。
果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、仇敵である秀吉との間に生まれた我が子を、茶々はどのような思いで抱くのでしょうか。
彼女の心境がどのような変化を見せていくのか、これからも注目していきたいですね。
