【豊臣兄弟!】茶々、側室入りの引き金に…信長の実子で秀吉の養子・羽柴秀勝の短い生涯 (3/9ページ)

Japaaan

(ドラマ内では、信長を笑わせようとする『羽柴まつり』で、おどけて踊ったり藤堂高虎(佳久創)に担ぎ上げられていたり、養父母にも家臣からも可愛がられている様子が描かれていました。)

この頃は、およそ天正9年(1781)。
史実では、その4年後、天正13年12月、秀勝は18歳という若さで病死しています。

今回のドラマではちょうどその天正13年。この秀勝の死は、ずっと豊臣家の将来を心配していた寧々の決断にも影響したのでしょう。

秀勝を励ましながら優しく看病する寧々(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

二人目の羽柴秀勝となる於次丸秀勝

「秀勝」を名乗る息子は養子を含めて3人いることでも知られています。

ほかの秀勝と区別するため「於次丸秀勝(または於次秀勝)」と呼ぶことが多いようです。

秀勝は、永禄11年(1568)、織田信長の子として生まれました。

ちょうど、9月26日に信長が足利義昭を奉じて京都に上洛した頃。

秀勝は、信長の四男・五男の両方の説があり、生母は信長の側室・養観院とされています。

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