【豊臣兄弟!】茶々、側室入りの引き金に…信長の実子で秀吉の養子・羽柴秀勝の短い生涯 (6/9ページ)
天正10年(1582)には秀吉に従い、中国攻めに参戦。けれども6月に本能寺の変が勃発するとともに、秀吉の「中国大返し」に同行、共に引き返しました。
そして、山崎の戦い(6月13日)に参加。異母兄・織田信孝とともに「信長の実子」として弔い合戦の旗印(象徴)の役割を果たしたといえるでしょう。
清須会議後の遺領配分では、明智光秀の旧領・丹波国を与えられ、丹波亀山城主に就任。
大徳寺で行われた信長の葬儀では喪主を務め、秀吉が「信長の後継者」であることを内外に印象づけました。
さらに、賤ヶ岳の戦い(天正11〜12年/1583〜84年)に参加。秀吉方として帯同。
小牧・長久手の戦い(1584年)にも出陣。近江草津に陣を張り、木曽川筋の攻撃などで活躍。伊勢松ヶ島城攻略では秀長とともに別働隊を率いた記録もあるといわれています。
ドラマでの「小牧・長久手の戦い」では、秀吉の甥・三好信吉(豊臣秀次/山田涼介)の王道プリンスなビジュアルと「負けたのは私のせいですかね?」な他責思考の態度が注目され、秀勝の戦いぶりは目立ちませんでした。