【豊臣兄弟!】茶々、側室入りの引き金に…信長の実子で秀吉の養子・羽柴秀勝の短い生涯 (4/9ページ)

Japaaan

秀吉は、長浜城主時代、初めての男児となる・石松丸(石松丸秀勝/または石松秀勝)を側室との間に設けたものの、天正しい4年(1576)に死去しています。

その時の年齢は15歳以上と推測されていますが、実子であったか養子であったかは不明だそう。

※秀吉にいたとされる実子に関しては、こちらの記事で紹介しています。

天下人・豊臣秀吉にいたとされる4人の実子は本当なのか?現代まで残る風説を紹介【前編】

その後、秀吉は二人目の羽柴秀勝となる於次丸秀勝を、信長から貰い受けたのでした。

時期は天正5〜6年(1577〜78年)頃と推定され、遅くとも天正8年(1580年)までには成立していたとされています。

秀吉が於次丸と連名で8年に出した長浜八幡宮の奉加帳が残っています。(下の写真参照)

左側に『羽柴秀勝』に関することが。

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