【豊臣兄弟!】絶頂の兄弟を襲った暗雲!秀吉の『北野大茶湯』がたった1日で中止になった本当の理由 (3/12ページ)

Japaaan

(北野大茶湯輯成『北野大茶湯-徳富蘇峰氏』)

天正15年(1587)7月28日、秀吉は、京都や奈良、堺などに『北野大茶湯』のおふれ(告知)を出したのでした。

秀吉が見せびらかしていた『聚楽第』の模型。(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」)

「誰でもおいで」けれど「来ないやつは二度とお茶禁止」

『大茶湯之事/太閤記』ほかに記されている「秀吉のおふれ書き」の内容を、簡単に現代語で挙げてみます。

・来たる10月1日より10日間、大規模な茶会を開く
・茶会では秀吉公が、自ら自身の名品を数寄者(芸道に熱心な人物の俗称)に公開
・ドレスコードなどないから気軽に
・「茶の湯」に心がけある者なら、町人でも百姓だも誰でも参加していい
・その代わり釜、釣瓶、呑物を一つを持ってくるか、茶道具がない者は替わりの物でもいいので持参して
・お茶は高いから“麦こがし”(麦を煎ってから挽いた粉)でもいい
・日本人以外の人も参加OK
・遠方から参加する人が大変だから10日間、開催する

そして、「茶の湯の心得」がある者には、秀吉が目の前で茶を立てるという、なんとも面白そうな茶会です。

従来、茶の湯といえば、大名や豪商など限られた人が楽しむものだったの。けれど、秀吉は垣根を取り去り「天下に向けて」開いたのでした。

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