【豊臣兄弟!】絶頂の兄弟を襲った暗雲!秀吉の『北野大茶湯』がたった1日で中止になった本当の理由 (4/12ページ)
参加の敷居が低い茶会で多勢の人を集めれば、その参加者たちが他の人に「秀吉の茶会を自慢する」…そんな無料の伝聞による宣伝効果も考えたのかも。
日本中に「秀吉すごい!」が広がることを狙ったとしたら、秀吉はアイデアマンですね。
ただし、気軽に参加できる分「参加しない者は今後茶の湯禁止」という厳しい条件付きでした。
茶会の詳細やルールが書いてある『北野大茶湯の節御高礼』国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/item/731101
なぜ「北野天満宮」だったのか菅原道真を御祭神としておまつりする京都の北野天満宮は、天神信仰の発祥の地で、学問や和歌・連歌の神として、身分を問わず広く信仰を集めていました。
室町時代には、将軍の足利義満も北野天満宮を手厚く保護し、大きな催しを開いています。
なぜ秀吉は茶会の場をここにしたのでしょうか?
『北野大茶湯之記』などに伝えられる触書の内容、『兼見卿記』『多聞院日記』などの同時代日記も、開催場所を記録するのみで「なぜか?」の理由には触れていないようです。
のちに推測された理由としては「聚楽第」が近かった(約1kmで徒歩15分程度)ことが挙げられています。