喪服が白ではなく黒である理由は明治時代から始まる戦争がキッカケ!
お葬式といえば、ちょっと前に話題になっていたニュースにこんなものがありました。「親友の葬儀に女装で参列」これだけ読むと、なんてふざけたこと!と思ってしまいますが、実は涙を誘う感動の友情話なのです。
■戦争で亡くなった友人の最後の言葉
イギリス軍としてかのタリバン軍と戦う友人が、戦友である彼にこう言うのです。
「もし俺が死んだら、できるだけ派手なドレスで女装して参列してくれよ」どんどん強大化する敵に、強がって見せたブラックジョークです。しかしその友人は敵の手によって帰らぬ人に。黒衣で参列すべき葬儀で、彼は約束を果たすのです。鮮やかな黄色のタイトドレス。しかしその姿に笑う者は誰もいませんでした。
これはイギリスでの話なのですが、話題になったのも、ただの女装ではなく派手なドレス着用で、というところもあるかとわたしは思いました。イギリスでも葬儀では黒衣が主流なのではないかしら?とちょっと調べてみたら、実は全然違いました。それこそ色合いは暗めに抑えるそうですが、とくに決まった服装はなく、スニーカー、ジーンズもあったり、色も暗めだけど赤もあったり、アクセサリーも、これみよがしなものでなければなんでもOK。
なんとまあ。日本で生まれ育ったわたしとしてはびっくりです。世界中、死に際しては「黒」をイメージし、かつ礼装するものだと勝手に決めつけていました。もちろん現在の日本の葬儀では黒衣の礼装をするのが当たり前です。しかしよくよく調べてみると日本でもまた、もとは「黒」ではなかったようです。では何色だったのでしょう?そもそも色は関係ないのでしょうか?
■喪服は白→黒→白→黒という変遷
答えは日本の昔ながらの怪談に出てくる「幽霊」でした。時代劇でもコントでも彼らが身に着けているのは、おそらくこれを読んでくださってる日本人の共通意識にあると思われる「白い着物」。そう「白」なのでした。
日本における喪服の色の変遷をネットで調べてみると、どうやら文献が残っている範囲では白→黒→白→黒と、なんだかあっち行ったりこっち行ったりしています。おもしろいのは、黒に変わるときはいずれも海外の影響をうけたときだったとか。しかも、最初の黒になった時は勘違いという話し。
ときは平安時代。紫式部が光源氏の様々な女性とのあれこれを書いた時代。貴族がいばっていたようなイメージのある時代ですが、まさにその貴族の頂点である天皇一族が亡くなったときは「黒」を着用することという令が出されます。どうやら文献で、お隣の強大国中国がそうしてると知って真似したようです。しかし、実はそれは中国の文献の解釈間違いで、中国でも「白」だったのに、当時の日本のトップは「薄墨」にしてしまったのです。
その後、白に戻るのははっきりとしたきっかけなどは分からないようですが、貧しい民間人が染料使ったりするお金も暇もないから、「薄墨喪服」を登用していてたのは貴族以上だけなのではないか?民間人の中ではずっと「白」だったので、日本のトップが入れ替わってもそれは変わらなかったのかもしれません。あくまで想像ですが。
その民衆が続けていた「白」は室町時代に公式に戻るようです。金とか銀のお寺を作った時代ですね。
■汚れが目立つ白よりも使い回しができる黒
そして現在の「黒」になったのは…そうです、近代社会の幕開け「明治時代」です。日本がもっとも海外の影響を受けた時ではないでしょうか。列強諸国が喪服が黒かったので、日本も倣ったそうです。
しかし民間人はずっと「白」。とは言えめまぐるしく近代化が進み、守ってきた文化さえ脅かされる世相。ここでとうとう「黒」に寝返るときがくるのです。
急速に近代化する日本は、諸外国に負けまいと数々の国際的な戦争を繰り返していきます。民間人も駆り出されます。結果、次から次へと、近所のあちこちで行われる葬儀。なんども着回しできるのは、汚れの目立たない「黒」。
なんと悲しい理由でしょう。
しかしこの黒の喪服から始まった日本の葬儀は、昔ながらの荘厳さを残し、西洋を見習ったようでいて西洋にはない、実は日本独自のものを生み出したようです。この内容についてはまたあらためまして。