シャルリ・エブド襲撃事件に見る「表現の自由」と「テロリズム」の意味 (3/4ページ)

東京ブレイキングニュース

 また、ここでいう「笑い」にはひとつ大事なポイントがあり「風刺の対象が苦笑せざるを得ないレベルに仕上げてみせる」という点である。それを実現させるためには、様々な人種・宗教・社会的立場・価値観を受け入れ、可能な限り理解する必要がある。例えばイスラム教を笑いたいのであれば、フランス国内の多数派を笑わせるだけでは許されない。 笑う多数派の影で少数派が泣かされているのでは単なる差別だ。この場合に笑わせねばならないのはイスラム教徒である。イスラム教徒の笑いのツボを心得て、彼らが不快に思いつつも苦笑するしかないという風刺が可能ならば、今回のような事件が起こる可能性は減らせたであろう。

 このような書き方をしてはお叱りの声もあるだろうが、襲撃事件が起きてしまった要因を一言で現すならば「風刺のクオリティが低すぎたから」とも言えるのである。笑えもしない風刺マンガを見せたから、単に侮辱と受け取られ、覚悟を決めねばならない人達が現れてしまったのだ。表現の自由は確かに守られるべき物だが、それを拡大解釈して弱者や少数派が声も挙げられないような弾圧や封殺になってしまっては元も子もない。暴力や殺人といった報復が許されるはずもないが、シャルリ・エブドを表現の自由の象徴として語らねばならないのであれば、私はせめて「社会風刺のプロとして笑いを提供できなかった点だけは反省すべきだ」と指摘しておきたい。

抗議運動が本来の意味の「テロリズム」につながる可能性

 最後に、なぜ「Je suis Charlie(私はシャルリ)」が冒頭で申し上げたように本来の意味のテロリズムに繋がる可能性があるのか。テロとはフランス語の "terreur=恐怖" が語源で、フランス革命の際に起きた虐殺がきっかけとなり「テロリズム」という言葉が使われるようになった。実に因縁めいた話だが、フランスはテロリズムの元祖・本家でもあるのだ。問題となった一連の風刺マンガにあるようなターバンと爆弾を巻いたイスラム教徒が突っ込んでくるだけがテロリズムではなく、己の政治思想を主張するために暴力や殺人といった恐怖に訴える行為を指す言葉だと考えて欲しい。

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