“イケてない人”の貧困は本人の自己責任なのか|やまもといちろうコラム

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Photo by twiy111 via flickr
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 やまもといちろうです。頑張って収益を上げて税金をたくさん払っています。

 ところで、貧困を語る上で「期待値のジレンマ」というのがあります。よく「好きを仕事にする」とか「やりたいことで稼げるのはいいことだ」という自己啓発的なアレがありますね。目の前の、分かりやすい仕事に飛びついてみたら、人気が殺到していてピラミッドが大きすぎ、上を目指すにはおっさんがつかえていて椅子が埋まっているという現象です。

 一時期は、ゲームクリエイターが子供たちに人気の商売になっていましたが、電車の運転手であれ街角のケーキ屋さんであれ、イメージのしやすい仕事で、慣れ親しんだアウトプットを手がける仕事は、野球選手もパン作りも人気になりやすいのも事実でしょう。

 漫画家もその一種で、子供たちや精神的に大人になりきれない大きい子供たちは漫画をたくさん消費しますが、オタクという属性が市民権を得て以降、クールジャパンだコンテンツ立国だと持ち上げられ現在に至ります。では、その原作をたくさん供給している漫画家の世界はどうなのかを解説した記事を見ますと、残酷なまでのヒエラルキーや所得格差がそこには存在しているように見えます。

従来とはちょっと違うタイプの読者たちと一緒に作家は歩いていく。

 難しいのは、ここで解説されている「漫画家」というのは、ほとんどの場合単体では存在せず、出版社やシナリオを補助してくれるライターの人々、大きく売り上げを上げるために必要となるタイアップ先を探すPR会社など、さまざまな裏方の仕事が潜んでいます。もちろん、この記事は恐ろしく正確に業界の構造を描いていますが、一方でそれを支えるシステムには年収400から700万円ぐらいのフツーの生活を送る人たちの努力もあって、億単位の収入で全体を牽引する才能ある漫画家がいるという構造があります。これは、どの業界でもほとんど変わりなく、相似形となってこの社会や経済を構成しているのです。

時代が過ぎて稼げない世界になってしまう場合も……

 突き詰めれば、貧困のシステムというのは才能を認めていく過程で、その職能が果たして本人の好みの仕事かどうかや、才能を発揮できる分野かにも影響し、またブラック体質が業界内でどれだけ浸透してしまっているのか、そのスキルでどこまで食えるのかといった、様々な本人の才能と意欲と環境が絡み合っているわけです。

 考えるべきは、何に自分の時間や資産を投じ、どういう見返りを得るためにこの人生を暮らしていくかです。その結果としての貧困は当然よろしくないことではあるのだけれども、カネを尺度に人の価値を測ることが困難であるのと同様、人生の目的をどこに置くかを考えることで貧困を「結果」ではなく「過程」とすることはできると思うのです。これは、単純な「幸せかどうかは気の持ちよう」ではなく、具体的に人生の行く末を見極め、それに対してコミットし、時間やお金を使っていきながら、自分の目指す道を一歩一歩歩んでいくアプローチであることに変わりはないのです。

 その定めた「目標」が競争に晒されやすい分野で常に比較される世界であれば、漫画家のように頑張ってるけど才能至らず貧乏になってしまうケースもありますし、目指していたら時代が過ぎて稼げない世界になってしまう場合もあるでしょう。軌道修正は自分なりにしっかりと行っていく必要はあると思います。ただし、自分の人生が一度きりである以上、狙いを絞る、絞った先に集中して、しっかりと結果を出していこうと努力することが、経済成長を知らない現代人が生き抜く大事なメソッドなのではないでしょうか。

著者プロフィール

やまもといちろうのジャーナル放談

ブロガー/個人投資家

やまもといちろう

慶應義塾大学卒業。会社経営の傍ら、作家、ブロガーとしても活躍。著書に『ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」』(宝島社新書)など多数

公式サイト/やまもといちろうBLOG(ブログ)

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