あの日の白いモビルスーツ 1977年からのオタク回想録その3 (1/4ページ)

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あの日の白いモビルスーツ 1977年からのオタク回想録その3

オタクという言葉が生まれる以前、1978から1980年。テレビの構成作家、京都精華大学非常勤講師となった自分の土台にもなったのはアニメと特撮だった。これはその回想録の3回目。



1978-3 アニメ、インベーダー、ロックからまんが専門誌へ
ファン心理というものは恐ろしいもので、なんでもかんでも知りたくなるんですね。コロムビアから出ていた「テレビまんが主題歌のあゆみ」という4枚組BOXセットのLPレコードを購入したのも、この時期でした。うっすら記憶に残っていたものから、見てもいなかった古いアニメの主題歌まで歌えるようになったのは、このおかげです。

アニメ好きのお姉ちゃんの通う女子校の文化祭にも足を運び、漫研をたずねサークル誌も購入。同人文化というものも覗き見ました。話で伝え聞いていた『海のトリトン』ファンクラブの会報である「TRITON」をはじめて読んだのもこの時です。


中学2年の秋。在籍していたバスケット部では、各種対抗戦に向けての練習が日々続いていました。もちろん、うわべだけは真面目な中学生だったオレとしては、練習を休むこともなかったので、毎日の放課後、土日とひたすらバスケット部の練習に参加していたはずです。

そんな中で、なぜここまで熱心に「アニメ」に夢中になる時間があったのか、今となってはよくわかりません。ただ、今も覚えているのは、無我夢中で知識を詰め込もうとしていたことです。「これまで知らなかったこと」と「今、生まれてくる新たなこと」。アニメには、それがありました。

9月14日 には『銀河鉄道999』が、そして10月14日には 『宇宙戦艦ヤマト2』『新・エースをねらえ!』が放送開始された。また、10月7日には『野性の証明』が公開され、角川映画ブームがやってきていた


もうひとつ、この年に直撃されたのが、ビデオゲーム「スペースインベーダー」の登場でした。事前に雑誌で存在は知っていましたが、最初に見たのは、近所のゲームセンターに置かれたアップライト筐体だったと思います。

この頃、ゲームセンターのメインの客層は、いわゆる「不良」少年たち。中学では、出入りすることを固く禁止されていたんです。

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