【未解決事件】「柴又女子大生放火殺人」19年目のミステリー (1/3ページ)

デイリーニュースオンライン

事件当時の現場の写真
事件当時の現場の写真

 世田谷一家殺害事件や八王子スーパーナンペイ殺人事件と並び、同時期に起きた未解決事件として有名なのが「柴又女子大生放火殺人事件」だ。事件から19年──本来2011年に時効が成立するはずだったが、2010年4の改正刑事訴訟法施行でこの事件も公訴時効廃止となり、現在も捜査が継続中だ。今回、この事件に関して新たな視点から検証をしてみたい。

 阪神淡路大震災やオウム事件といった歴史に残る災害や事件を経験した村山富一内閣が退陣し、オウム事件の捜査も佳境に入った1996年8月4日、「生まれも育ちの葛飾柴又」のセリフで柴又を一躍有名にした『男はつらいよ』の主演俳優・渥美清さんが亡くなった(享年68)。

 そして柴又を象徴する渥美さんの死から約1カ月後の9月9日──柴又の地で惨劇が起きた。

 9月9日、午後4時39分、葛飾区柴又3丁目の会社員・Kさんの自宅から火の手が上がった。隣家の住民が消防署に連絡したが、木造モルタル2階建てのKさん宅は全焼。焼け跡の2階の寝室から、当時上智大学4年生でKさんの次女A子さん(当時21歳)の遺体が発見された。

 しかし、死因は火事によるものではなく、鋭利な刃物で首を刺されたことによる失血死で、両足はストッキングで「からげ結び」という造園業や和服の着付けなどで使用される特殊な方法で縛られていた。

 警察は「殺人後の放火」と断定したが、事件は現在も未解決のままである。

消えた外国人犯行説とストーカーの存在

 この事件の最大の謎は「犯行時間」と「犯行のタイミング」だろう。元公安捜査官が証言する。

「夕方4時というのは、実は空き巣が多い時間帯だ。買い物に行く数分の間を狙い、少額でも盗んでさっさと次の家を狙う。こうした手口に巻き込まれた可能性は否定できない。たまたまA子さんが家にいて、両親の部屋に逃げ込んだというのは理解できるし、物盗り程度の犯人だからこそ顔を見られて逆上し、必要以上に残忍な方法で殺害した可能性もある。だが、その後の放火は疑問が残る。逆上したゆえに放火の罪の重さも考えず、素人レベルの犯人が勢い余ってというケースも考えられなくはないが……」

 そうなると、犯行はゆきずりの線が濃厚ということなのか?

「3時50分に母親がパートに出ている。その40分後には放火されている。家に入って、彼女を見つけ、殺害が先か、縛ったのが先か不明だが、殺害後すぐに逃げ出し火をつけないと時間的に合わない。物盗りは時間との勝負だから早いという点では合致するが、殺害方法も執拗で逃げられないようす巻きにして、寝室前にあったスリッパは足跡を残さないようにしたのだろう。過去の経験上、この手の物盗り程度の犯行でここまでした人間は外国人以外聞いたことがない。しかし、いろいろな目撃証言が出ているが、外国人の目撃証言はいない。母親が出かけるのを見届けて犯行におよんだことはまちがいない。もしくは以前に何度か家を訪れていた可能性も残る。どちらにせよ計画的にやらないと難しい」

 捜査員の言葉を裏づけるように、A子さん自身、事件の10日前からストーカーの存在を匂わせるような言動を周囲に漏らしている。

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