1984年グリコ・森永事件 元刑事・北芝健が読み解く「未解決事件現場」前編 (7/8ページ)
大阪府警に真っ向から対立しようとしていた」
滋賀が大阪を中心とする合同捜査本部と対立?
「入るなと言われていたにもかかわらず、高速付近にパトカーがいたのは、滋賀県警の幹部があえて現場に伝えなかったからじゃないかな。事実、滋賀県警の捜査員は秘匿で大津サービスエリアに張り込み、キツネ目の男を目撃しているんです」
だが、捜査本部の方針から、職務質問というスタンドプレーは見送られた。
「でも、考えて見てください。これまでの犯行の舞台は大阪と兵庫ばかりです。滋賀に行くとは誰も予想していなかったはず。それなのに、捜査本部に秘匿で捜査を行ったということは、もしかしたら、滋賀県警は感覚以上のネタを掴んでいた可能性があると思うんです。そして犯人も、それに感づいたんじゃないか」
確かに、このときから「終結宣言」まで、犯人は脅迫をしてはいるが、現金の要求や直接の現金取引を一度も要求していない。
「滋賀県警に追いつめられたことが、犯人にとって脅威だったのかもしれませんね。これ以上続けたら捕まると、察したんじゃないかな。警察無線を傍受していたこともバレましたからね」
だが、事件が終わるきっかけになったのは、それだけではないという。
「決定的なのは、滋賀県警本部長の自殺でしょう」
犯人を取り逃がし、批判を浴びた滋賀県警の本部長が、退任発令直後の85年8月7日、本部長公舎で灯油を被り、焼身自殺をしたのだ。これが一連の事件で、唯一の犠牲者だったとも言える。その結末は、自殺した本人も遺族も含め、あまりに痛ましすぎるものだった。
「テロ行為などを行う連中の中には、犠牲者を出さないことを矜持とする者も多いんです。"終結宣言"が送られたのは、この5日後。そこにも、本部長の自殺があったから、もうやめると書かれていました」
滋賀県警の本部長は、ノンキャリアからの叩き上げで異例の出世をした人物。さらに、周囲からの人望も非常に厚かったという。
「責任感が強すぎたんでしょう。激しい非難に耐えられなかった」
それと、もし滋賀県警が何か掴んでいたのだとしたら、本部との板挟みも相当辛いものだったはずだ。
「でも、警察の失態だけではありませんよ。