もし日本軍があの時こうすれば…太平洋戦争「勝利の可能性」を探る! (2/5ページ)
あくまで、日本はほどほどの勝利を収めることができた、あるいは、本土を蹂躙(じゅうりん)されるようなことはなかった、ということです」(自衛隊幹部OB)
では、日本はなぜ勝てる戦を逃したのだろうか?
「まず一番大きいのは、ドイツと軍事同盟を結んだことです。当時の日本にドイツと結ぶメリットは皆無、それどころかデメリットばかりがありました。ドイツは欧州で戦争を始めるや連戦連勝。これを目の当たりにした松岡洋右外相や陸軍の親ドイツ派が、盛んに日独同盟論を唱えだします。合言葉は"バスに乗り遅れるな"。ドイツが欧州戦線でフランスやイギリスをこてんぱんにしていたので、これに乗じて南部仏印を占領するフランスをアジアから追い出そうと考えたわけです。さらに、満州国と国境を接し、ノモンハンで手痛い目に遭わされたソ連に対する抑止力にもなると考えたんです」(外務省OB)
ところが……。
「結果はすべて裏目。ドイツと結んだことで、日本が本当は争いたくない英米両国との不仲が加速しました。さらに、対ソ戦略ではドイツに裏切られている。1941年6月、ドイツは独ソ不可侵条約を破棄してソ連に攻め込みましたが、これは同盟国・日本の立場をまったく無視した無茶苦茶な行動ですよ」(同OB)
当時、日本はドイツにならい日ソ中立条約を結んでいたが、当のドイツがソ連と開戦してしまったわけだ。
「今でも"ドイツびいき"の人が多いですが、理解できませんね。伝統的にドイツは、自国の都合以外は考えません。これに日本も翻弄されてしまった。あの国と結んで得をした国は、歴史上ありませんから」(同)
ドイツと同盟を結び英米から敵視されるようになった日本は、その後、日米交渉を重ねるが実り少なく、ハル・ノートを突っぱねて対英米開戦に突き進んだ。
そして迎えた運命の日、1941年12月8日――。
この日、南雲忠一率いる連合艦隊空母機動部隊が、米太平洋艦隊の拠点であるハワイを奇襲した。直前にマレー半島攻略戦が開始され、日本は対米英戦争に踏みきった。開戦後半年はご存じのように連戦連勝。しかし、ここに大きな落とし穴があったという。
「まず、大勝利とされている真珠湾攻撃ですが、これははっきり言って"負けに等しい勝利"でした。