「どんな気候でも咲く桜」に込められた平和への願い (2/2ページ)
ある生徒はジャワで、別の生徒はシベリアで亡くなった。そんな彼らと桜の下で再会する約束をしている。それならば、自分の手で桜を作り、彼らの眠る地で咲かせるほかないではないか。
世界の各地に散り散りになって死んでいった教え子の供養と戦争根絶の願い。
これが、正明がその後30年かけて成功させた、どんな気候であっても花を咲かせる新種の桜「陽光」の開発のはじまりだったようだ。
そして、ここからが壮絶だ。
理想の桜を作るための品種改良として、既存の種の人工交配を繰り返すわけだが、当然気の遠くなるような時間と、莫大な費用がかかる。私財をなげうって開発を進めたものの、もともと資産家というわけではない。しかし、たまりかねた息子の照海がいくら「もう十分だろう」となだめてやめさせようとしても、温泉に招待して開発の現場から引き離そうとしても、「寒冷地でも熱帯地でも咲く、樹勢が強くて樹齢も長く、大輪の花を咲かせる桜」の理想はゆるがなかった。そして、その開発の理念上「商売っ気」はゼロである。
1979年にようやく正明本人が納得する桜を生みだすことに成功したが、そのサンプルを無償で、送料まで負担して国内はおろか世界のあちこちに送ってしまうのだから、家族としてはたまったものではなかっただろう。内閣総理大臣や自衛隊基地はもちろん、中国、ブラジル、バチカン市国のローマ法王へも送ったというから恐れ入る。
お金にならないことに数千万円もの資金を投じてしまった父に手を焼きながらも、息子たち家族は結局、正明の熱意に負けて協力してしまう。そうした人々を巻き込んで、正明はその生涯を平和活動に捧げ、彼の開発した「陽光」は世界中広まった。その一部始終が本書には収められ、読む者に感動を与えてくれる。
「知られざる偉人」として、これまであまり認知されてこなかった正明だが、その人生は今、本書だけでなく映画 『陽光桜-YOKO THE CHERRY BLOSSOM-』においても明らかにされようとしている。戦後70年という節目の年に、戦争を経験し戦争に人生を決定づけられた男の軌跡は、どのように受け入れられるのだろうか。
(新刊JP編集部)