戦国時代の“お茶ブーム”仕掛け人は信長だった!「領地よりも茶器が欲しい」
「すきもの」は、今日では「好事家」「色好み」と理解されているが、もともとは「数寄者」とされ、茶の湯など風流、風雅に寄せる人のことだった。つまり、数寄者は好き者に通じ、女や物欲のオタクにも通じていたのかもしれない。 戦国武将たちは、武将の教養として茶の湯をたしなみとした。ことに織田信長は、堺出身で豪商の出の今井宗久らを重用して当時の武将たちに茶会を開く権利を褒美として与えたりしていた。歴史家の河...
「すきもの」は、今日では「好事家」「色好み」と理解されているが、もともとは「数寄者」とされ、茶の湯など風流、風雅に寄せる人のことだった。つまり、数寄者は好き者に通じ、女や物欲のオタクにも通じていたのかもしれない。 戦国武将たちは、武将の教養として茶の湯をたしなみとした。ことに織田信長は、堺出身で豪商の出の今井宗久らを重用して当時の武将たちに茶会を開く権利を褒美として与えたりしていた。歴史家の河...
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