日産「NISMO」ブランドを強化、NISMOの歩んだ道を振り返る (1/4ページ)

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日産「NISMO」ブランドを強化、NISMOの歩んだ道を振り返る
日産「NISMO」ブランドを強化、NISMOの歩んだ道を振り返る

日産のモータースポーツ部門である「NISMO」。現在ではその名を冠したロードカーが販売されるなど、実に今後が楽しみなブランドです。ここでは、そんなNISMOの歴史や現在販売されているロードカーについて詳しく見てみましょう。日本最大規模のレーシングコンストラクターは、いったいどんな道を歩んできたのでしょうか。

■NISMO立ち上げまでの経緯photo by Mytho88(CC 表示-継承 3.0)

NISMO設立以前の1960~70年代、日産ワークスは「追浜ワークス」と「大森ワークス」に分かれていました。前者は神奈川県横須賀市の日産自動車追浜工場内、後者は東京都品川区南大井に本拠地を構えます。追浜ではおもにラリーやプロトタイプマシンの開発を担当し、数多くの名車が生み出されました。特に有名なのが、R380~R382といったマシンたちです。高橋国光氏や北野元氏、黒沢元治氏といった当時のスタードライバーたちに託され、サーキットで猛威を振るいました。

一方の大森ワークスは、主に市販車を改造したツーリングカーの製作を担当。華やかな追浜と比べマイナーなイメージが付きまとい、日産社内でも二軍扱いだったといわれています。しかし追浜のドライバーたちはチームが用意したマシンにただ乗るだけだったのに対し、大森のドライバーたちはマシンを自ら製作してドライブすることから、開発やセットアップの能力に優れていたという見方があります。実際に大森に在籍していた鈴木誠一氏は、後に独立して東名自動車(現、東名パワード)を立ち上げました。

そして1970年代後半のオイルショックを経て、1980年代に入りモータースポーツが復調の兆しを見せたことから、日産はワークス活動再開の道を模索し始めます。こうした経緯で誕生したのが、NISMOだったのです。

■1984年、NISMO設立

1984年9月、大森ワークスと追浜ワークスを母体としてNISMOことニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社が設立されました。初代社長には1958年にオーストラリア・モービルガス・トライアルにて日産ワークスとして出場し、その後追浜ワークスを指揮した経歴のある難波靖治氏が就任。

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