高句麗から日本に渡来してきた高麗王若光の生涯と埼玉県日高市にあるお墓 (8/8ページ)

心に残る家族葬

『異国の丘』の♪我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ 帰る日も来る 春が来る♪の歌詞のように、朝鮮半島に戻りたいと強く思い続けていたのか。またはトドロフのように、「日本人」になってしまったことで、「日本」のことを「どのような国であるか言うことができな」くなるほど日本に溶け込んでしまった自身への一抹の孤独感を抱きつつ、日々を送ったのか。或いはアイルランド〜フランス〜イギリス〜アメリカと異郷で生きた後、日本で暮らし、家庭を築き、日本人よりも「日本」らしい、『耳なし芳一』『雪女』などを書き記し、そのまま日本に骨を埋めた小泉八雲ことラフカディオ・ハーン(1850〜1904)のように、日本の文化、人、歴史を愛したのだろうか。

■参考文献

■『高麗神社と高麗郷』1931/1991年 高麗神社
■『埼玉叢書 第6巻』1970年 国書刊行会
■大村進・秋葉一男(編)『郷土史事典埼玉県』1979年 昌平社
■『埼玉の神社 入間 北埼玉 秩父』1986年 埼玉県神社庁
■『続日本紀 1』1989年 岩波書店
■『続日本紀 22』1990年 岩波書店
■『日本書紀 5』1995年 岩波書店
■『日高市史 原始・古代資料編』1997年 日高市
■『世界の歴史 6 隋唐帝国と古代朝鮮』1997年 中央公論社
■『埼玉県の歴史』2010年 山川出版社
■『都市デザイン 野望と誤算』2000年 鹿島出版会
■『日高市史 通史編』2000年 日高市
■『古代朝鮮文化を考える』2001年 (137−139頁)古代朝鮮文化を考える会
■『文学研究論集』第25号 2006年 (303−314頁)明治大学大学院文学研究科
■『異郷に生きる者』2008 法政大学出版局

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