天皇に即位したか否かが長年議論されてきた幻の天皇と廃れた古墳の話 (5/8ページ)

心に残る家族葬

それが「伝説」である。しかし、人知が開け、一通り地理や歴史の知識が人々の間に備わってくると、そんなことはあり得ないということになる。すると「伝説」は「伝説」ではなくなり、「昔話」になる。しかも「伝説」はそれを人々が信じることができるよう、話の内容に説得力を持たせるため、「昔名僧があって旅に出た」と聞くと、「ああそれは日蓮上人だろう」「いや、親鸞上人だろう」などと、実在の著名人や何らかの来由をもって真実めかす。逆に「昔話」の場合は、「天狗の羽うちわが人の鼻を寝ている間に天まで届くように高くした」など、「天狗」の力の凄さをますます誇張して語るのだ。

御塚古墳がある碓井周辺は、古墳時代から、遠賀川水運によって多くの文化が伝播した「場所」だった。柳田の説に即して考えれば、誰が葬られたのかが判然としない古墳があった。その由来について、たまたま南北朝時代に不遇なまま亡くなった長慶天皇の話を聞いた人々が、これは「天皇の御陵」と信じた。それを真実のものとするために、「伝説」に「長慶天皇」や「眞阿上人」という、南北朝時代の著名人の名前を冠した。或いは高位の貴族か武士が都から落ちのびてきて、自らの非業を呪って、碓井の地で死んだことがあったのかもしれない。その人物を村人たちが、「長慶天皇」であると信じ、古墳と結びつけたのかもしれない。

■一方、民俗学者の折口信夫は…

また、民俗学者の折口信夫(1887〜1953)は『日本文学の発生 序説』(1924年)の中で、日本の中世・近代の物語文学における類型のひとつ、「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」について論じている。それは、尊い神や高貴な身分の人が、天上や都で犯した罪のために、地上や地方に漂泊して、辛苦の生活を経験するという話だ。その代表的な作品として折口は、『源氏物語』の、「須磨の浦に、さすらい住んで、あしこ(あそこ)の自然の荒さに苦しみ、やっと明石へ這い渡り、そこでかりそめの憩いを覚えるようになる光源氏の生活」を描いた、「須磨」「明石」の巻を指摘する。そして『源氏物語』以降、多くの人々が「あれほど優(ゆう)なる生活はない」と、源氏の生活を懐かしんだ。そして無意識のうちに「源氏の生活」の「語り」を模倣するようになっていたという。

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