天皇に即位したか否かが長年議論されてきた幻の天皇と廃れた古墳の話 (1/8ページ)

心に残る家族葬

天皇に即位したか否かが長年議論されてきた幻の天皇と廃れた古墳の話

福岡県嘉麻(かま)市上臼井572番地に「御塚(おんづか)」古墳と呼ばれる、直径約18mの小さな古墳がある。この古墳はかつて、南北朝時代の後期、南朝の天皇・長慶(ちょうけい)天皇(1343〜1394)の御陵であると信じられていた。

■御塚古墳は1500年前に作られていた


しかし御塚古墳そのものは、長慶天皇の御陵ではなく、今からおよそ1500年前につくられた、横穴式石室を備えた円墳だ。現在古墳の周りには、楠などの木々が生い茂り、石棺らしきものが地面に露出している格好だ。そして古墳の前には道路が走り、周辺地域には宅地や野球場が迫っている。しかも、もともと遠い昔に古墳そのものが誰かの手によってあばかれてしまっていて、2001〜2002年に行われた発掘調査においては、土地の有力首長を埋葬したことを証しする青銅鏡や金細工などの副葬品は全く発見されなかった。更にここは、筑豊炭田の一部を成す地域であったことから、明治期以降の石炭採掘、そして閉山後の鉱害復旧工事などによって、平地との比高はほんの1〜2mしかない。それゆえ、古墳であることを示す看板がない限り、これが古墳であるとは全く思えない状況だ。とはいえ、1897(明治30)年当時は、標高123mの琴平山(ことひらやま)の山裾に位置し、古墳の頂上まで登るには一苦労を要する急勾配だったという。幸いにも、わずかに原型をとどめていた箇所の調査によって、全長7mほどの複室両袖型の横穴式石室を備えた古墳であったこと。そして石室に用いられた岩石は、背後の琴平山から採取した玄武岩であることが判明した。また、石室を調べた際、いつ頃であるかは判明しないが、この古墳は1度きりの埋葬で閉じられたままではなく、追葬が行われていたことも明らかになった。

また御塚古墳周辺のみならず、嘉麻市周辺地域には多数の古墳が散見する。嘉麻市は飯塚市・田川市・田川郡川崎町(かわさきまち)・同・添田町(そえだまち)・嘉穂郡桂川町(かほぐんけいせんまち)に囲まれ、市の中心を遠賀川(おんががわ)が流れている。

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