天皇に即位したか否かが長年議論されてきた幻の天皇と廃れた古墳の話 (7/8ページ)

心に残る家族葬

長慶天皇にとっては、吉野で天皇としての立場を、命が尽きるまで全うできなかった恨みの心があったとしても、ほんの一瞬、都と比べれば「鄙」の碓井で、勢力争いの疲れを癒し得たかもしれない。現在の御塚古墳周辺に住む人々にとっても、身も心も疲れ果てていた長慶天皇につかの間の心の安らぎを与えた「場所」だったとして、それまで見逃していた「場所」の意味を見出し、森が言うように、勇気づけられたり、天皇が歩まされた数奇な運命に心を寄せたりして、歴史のロマンに感動することになるだろう。



■最後に…

言うまでもなく、このような「伝説」は、福岡県の碓井町や「長慶天皇」に限ったことはない。大半が「真実ではない」かもしれない。だからといって、「伝説」やロマンを求める人の心を、「現実」「常識」「理性」をもって否定すべきではない。それは「伝説」やロマンが、人の心を豊かにするからだ。心が豊かでなければ、たとえ知識があり、他人が羨む富裕な暮らしをしていたとしても、人としての幸せを日々噛みしめることはできない。従って、「心が満たされない人」こそ、折口が言う「貴種流離譚」の物語、柳田が指摘する「伝説」が付与された、例えば碓井町の御塚古墳のような「場所」を実際に「目にする」「立つ」ことが求められているのではないだろうか。

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