介護疲れと生活苦で母を殺害。温情判決が下され、再起誓うも8年後に自殺。 (5/7ページ)

心に残る家族葬

そして、「今度こそ、すべてを終わらせてあげよう」と、Aの墓や仏壇はつくらず、遺骨も拾い上げなかった。更にAの部屋にあった母親の仏壇などの遺品も、ひとつ残らず処分してしまったという。

■他人事ではない介護問題

我々は彼らの「死に方」に何を考えればいいのか?「今は都市化、核家族化で、昔と違って地域の繋がりが希薄で…」と前置きしながら、戦前から昭和30年代(1950年代半ば)ぐらいまでは多く見られ、今は失われてしまった「向こう三軒両隣」という言葉が表す親密な人間関係を回顧するのか。またはNHKの人気ドラマ『おしん』(1983〜84年)のように、わがままを言わず、ひたすら「辛抱」「我慢」する生き様を賛美し、「今時の人間は我慢が足りない!自分は寝たきりの親を家族全員で支え合って、他人に頼らず、国からの『お恵み』なんか、一切もらわず、最後まで看取ったもんだ!」などと主張する人は、必ずしも「戦中派」の保守的なお年寄りばかりだとは限らない。また、テレビやスマホの画面の「向こう側」で起こった「他人事」の「介護殺人」の報道を目にしたときは、「地域の見守りが大事」「かわいそう」と言いつつも、「自分」が「あそこ」のおじいちゃん、おばあちゃんを「見守る」余裕は全くない。子育て、家事、パートタイムの仕事など、自分や家族のことで忙しい。手が回らない。そして他人に余計な口出しをして、変なことに巻き込まれてはたまらない…のが現実だ。

■「80代の親と50代の子」がますます顕在化されていく8050問題

しかし団塊の世代が2025年頃までに75歳の「後期高齢者」になることから、介護・医療費などの社会保険費の急増が懸念される「2025年問題」はもちろんのこと、身を寄せるように生きている80代の親と50代の子どもが社会から孤立してしまう「8050(はちまるごーまる)問題」はもう目の前にきている。しかも認知症や脳梗塞など、誰かからの介護を必要とし、「元の自分」に戻りにくい病にかかってしまうのは、70代以上のお年寄りだけとは限らない。たとえ働き盛りの30代、40代であっても、認知症などの脳疾患に限らず、不慮の事故に遭い、その後遺症から、体が不自由になってしまうこともある。そんなとき、被介護者となった自分や親、夫/妻をどのように「終わらせる」のか。

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