清原和博、長嶋一茂、松井秀喜…池山隆寛が語る「プロ野球黄金時代」 (2/5ページ)

日刊大衆

野球論や知識は、大きな財産になっています。だから引退した後、楽天の監督に就任することになった野村さんから、“バッティングコーチをやってみないか”と声をかけてもらったときは、うれしかったですよ。野村さんの野球は、ひと言で言えば「準備野球」。ミーティングとデータを駆使して、“どうすれば勝てるのか”をチームで徹底することでした。それまでの野球観は一変しましたね。

 ただ、バッティングに関しては、野村監督から「ブンブン丸を封印しろ」と直接、言われたことはなかった。マスコミには言っていたみたいなんで、あれは監督なりのリップサービスだったんじゃないかな(笑)。野村さんは、僕や広澤(克実)さんを直接怒らないんですよ。その代わり、「ああいうバッティングをマネしたらあかんぞ」なんて、他の選手に向かって、僕らに聞こえるような大きな声でボヤく(笑)。間接的にグチグチ言われるわけです。でも振り返ってみると、野村さんなりに、僕らに気を遣ってくれていたのかもしれませんね。

 逆に、面と向かって褒められたのもたった一度だけ。97年の巨人戦で、9回表に決勝ホームランを打ったことがあったんですが、翌日、練習を終えたとき、野村監督に「おい」と声をかけられて、「昨日はよう打ったな」とひと言。褒められたのは結局、これが最初で最後でした。

■巨人軍は最大のライバル

――野村ヤクルトの最大のライバルとして立ちはだかったのは、長嶋茂雄監督率いる巨人軍だ。93年から97年まで、ヤクルトと巨人が交互に優勝。90年代のセ・リーグの中心はこの2球団だった。

池山  当時は、ことあるごとに野村監督から「巨人に勝たないと優勝はない」と言われていました。野村監督と長嶋監督とのライバル関係もあったし、選手のほうも“負けたくない”って、かなり意識していた。ミーティングで綿密に作戦を練って、「どうにかして巨人に勝とう」とチーム一丸となって燃えていましたね。

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