清原和博、長嶋一茂、松井秀喜…池山隆寛が語る「プロ野球黄金時代」 (1/5ページ)

日刊大衆

写真はイメージです
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 パワフルな打撃、そして華麗な守備でファンを沸かせた燕のレジェンドが、平成の球界を大胆に振り返る!

 1990年代のセ・リーグで黄金時代を築いたヤクルトスワローズ。その中心選手として活躍したのが、池山隆寛氏だ。今回は、球史に残るスタープレーヤーでもあった池山氏に、当時の球界の思い出を語ってもらった。まずは、弱小だったヤクルトを日本一4回という強豪チームへとのし上げた名将・野村克也氏について。池山氏にとって、どんな存在だったのだろう。

池山隆寛(以下、池山)野村さんが監督に就任したのは、僕の7年目のシーズンでした。ユマキャンプでの初めてのミーティング。監督はいったい、どんな野球の話をするんだろうと思っていたら、第一声が「一番大切なことはジジュンである」。初めて聞く言葉で、もう意味が分からないわけです。すると、監督は「耳順(じじゅん)」という字を大きく書いて、「論語の中に『六十にして耳順(みみしたが)う』という言葉がある。孔子は60歳のとき、誰の言葉でも素直に受け入れられるようになったそうだ。だから君たちも私の話をよく聞くように」と、説明してくれた。それがすべての始まりで、そこから「仕事の三大要素とは」みたいな話に続いていきました。それまでのミーティングといえば、サインプレーや作戦の話でしたから驚きましたね。

 プロ野球選手は辞めてからのほうが人生長い! だから社会人としての常識を身につけるべきだと、監督はよく話していました。「監督がホワイトボードに板書したことを書き写すように」と、あらかじめ言われていたので、ミーティングではとにかく必死でメモを取りました。最近、当時使っていたノートを引っ張り出してみたんですが、数えてみたらA4判のノートで500ページ近くもありましたよ(笑)。当時はプライドもあって素直に聞けない部分もありましたけど、今思えば、すごくタメになった。“野村の考え”は、現役を辞めて指導者になってから生きてきましたね。19年の現役生活のうち9年間、野村監督の下で野球をやりましたから、影響を受けているのは間違いない。

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