清原和博、長嶋一茂、松井秀喜…池山隆寛が語る「プロ野球黄金時代」 (3/5ページ)

日刊大衆

 ただ、対戦のときは毎回、斎藤(雅樹)さん、槙原(寛己)さん、桑田(真澄)の先発三本柱が投げてくる。いつも、この3人との対決だから、「またかよ、勘弁してくれよ!」って感じでしたね(笑)。

 巨人の三本柱は、本当にすごかった。斎藤さんなんて、全部真っすぐに見えるけど、中には同じところから曲がってくるボールがあるんですから。20勝していたときなんて、まったく手が出なかった。三本柱の中では、桑田が一番やりやすかったかな。コントロールが抜群によかったので、逆に狙い通りに打てたんです。ただ、シュートを覚えてからは、簡単には打たせてくれなくなりましたけどね。

 監督だった長嶋さんとは、あまり接点はなかったんですが、毎年秋に開催されていた東西対抗では、ご一緒していました。そのとき、「(長嶋氏の長男である)一茂君と同い年なんです」とあいさつすると、「そうか、一茂と同じなのか~」と答えてくれる。結局、この同じやりとりを5年間繰り返しました(笑)。

 ヤクルトで一緒だった一茂は、ほんと練習しなかったですね(笑)。僕らも練習嫌いでしたけど、それ以上。パワーはすごかったんですよ。でも、ウエイトトレーニングで、ダンベルを1回上げると「もう、いいや」って帰っちゃう。僕とはグローブを作ってくれる職人さんが一緒だったこともあって、「こんないいグラブなのに、なんで捕れないの?」なんて、からかっていましたね。

■桑田真澄から紹介されて清原和博とよく食事を

――90年代といえば、池山氏以外にも多くのスター選手が登場した「プロ野球の黄金時代」でもあった。中でも、池山氏が特別な思いを抱いた3人の打者について聞いた。

池山  清原(和博)とは、よきライバルで、よき友でした。ウマがあって仲良かったんです。初めて会ったのは、僕が入団して3年目、彼のルーキー年のオフでした。実は、桑田から紹介してもらったんですよ。もともと桑田とは高校時代から知り合いで、名古屋で行われたプロ野球イベントの帰り、新幹線の隣の席で一緒だったんです。東京に着くと、桑田から「今から清原とメシ食うんですけど、一緒にどうですか?」と誘われた。そこで3人でご飯を食べたのが最初でした。

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