source:http://www.shutterstock.com/
自動車産業にとって最も重要なセクターは、大衆車部門である。
T型フォードが登場して以来、自動車メーカーは常に「庶民がどのようなクルマを欲しているのか」ということを考えてきた。自動車という工業製品がライン生産によるものである以上、少数の金持ちにだけ売れても仕方がない。巷に製品を普及させ、多く売るのが至上命題だ。
だからこそ大衆車というものがある。フォルクスワーゲン・ビートルがまさにそれだし、イギリスのミニ、日本のスバル360辺りが“大衆車の代名詞”と言うべきだろうか。安価だが、最低4人の大人が乗れる大きさの自動車。それだけのキャパシティがあれば、夫婦と幼い子ども3人でのドライブが可能だ。
だが人類が生み出した大衆車の中には、人という動物の本性について考えさせられるクルマも存在する。
共産主義の歪んだ理想の具現化、大気汚染の王様、生き続ける化石。そんな汚名を被り続けた『トラバント』というクルマがあった。
■ 東ドイツの大衆車
source:https://pixta.jp/
ドイツがかつて東西に分かれていたことは、誰しも知っているだろう。自由主義陣営の西側と、社会主義陣営の東側である。
ドイツ民主共和国、すなわち東ドイツは建国当初から、工業生産力の面で西ドイツに大きく引き離されていた。当時のドイツの工業地域といえば、ルール川下流のエリアである。もちろんそこは西ドイツだ。従って東ドイツの工業は、当初からソ連頼みだった。
それでも社会主義国の建前として、「我々は常に成長し続けている」ということをアピールしなければならない。アドルフ・ヒトラーがフェルディナント・ポルシェにビートルを作らせたように、東ドイツの政治指導部も自国独自の大衆車を製造する運びとなった。
そこで完成したのが、『トラバント』だった。