当時、炭鉱で働いていた炭鉱夫と炭坑馬の関係から考える命の重さや尊さ

| 心に残る家族葬
当時、炭鉱で働いていた炭鉱夫と炭坑馬の関係から考える命の重さや尊さ

イングランド最北部のノーサンバーランド州にアシントンという町がある。そこにはかつて、炭鉱が存在した。もともとは人口70人余りの静かな農村だったのだが、1840年代後半に石炭の採掘が始まると、閉山した各地の鉱山やアイルランドで起こっていたジャガイモ飢饉から逃れて来た人々など、数多くの労働者が集まり、1937年までには4万人の人口を擁する、「世界最大の鉱山村」と称されるようになった。

■炭鉱共同体への差別意識

1860年代に創設されたアシントン石炭会社の経営に加わっていたクエーカー教徒は、急激に流入する労働者の家族に住宅を供給しつつも、当時のイギリス国内においては、炭坑労働者といえばパブでの飲酒が当たり前と見なされていたこととは相反し、労働者の過剰な飲酒、パブでの立ち入り、酒類の販売を厳しく禁止した。しかし、イギリスは階級意識が強い社会であるため、炭鉱共同体に対する国内での差別的な位置づけは長らく存続していた。

しかし1930年代になると、国際共産主義運動、世界恐慌による資本主義の危機、失業、貧困、労働争議などの社会問題、イタリアのファシズム、ドイツのナチズムなどの政治問題が噴出し始めた。そうした国内外の混乱の中、炭鉱労働者のように「周辺」に位置づけられて来た人々に対して、国内外の政治や社会に対して強い問題意識を持つ知識人による、さまざまな文化活動や啓蒙活動が活発に行われるようになった。そのような時代の流れに即した形で、1934年、アシントン炭鉱に画家兼美術講師のロバート・ライアンが訪れた。

■ある男をキッカケに炭鉱夫が美術や芸術に興味を持ち始めた

彼は芸術の基本的な知識はおろか、絵を描くことすら経験したことがなかった多くの鉱夫たちに対して、美術の教養講座ではなく、皆の関心事に焦点を当てる形で、合成樹脂を素材とする版画であるリノカットの指導を始めた。

ポケットナイフで版を彫り、それによって出来上がった、単純だが味わい深い作品を手にする中、だんだんとものを生み出す情熱に目覚め始めた鉱夫たちに対しても、「君は君の考えた題をつけて君の経験を描くんだ」とアドバイスし、技術よりも、描き手の構想を重視した。

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