当時、炭鉱で働いていた炭鉱夫と炭坑馬の関係から考える命の重さや尊さ (5/6ページ)
坑内馬が忘れきれんと(=忘れられないんだ)。誰かが重い荷ば(=を)曳かんとならんとなら(=曳かなければならないなら)、あたしゃ、やっぱり、馬になって荷ば(=を)曳きたかよ(=曳きたいよ)」と、坑内の粉塵に長くまみれ続けたための喘息によってしわがれた声で、つぶやき続けていたという。
当時の炭坑内の馬は電気に弱く、毎日のように1〜2頭が死んでいた。地上に無事に生きて出ることができた馬は喜んで、狂ったように跳ね回り、馬に馴れた馬曳きですら手がつけられないほどだった。そして馬曳き自身も、自分が怪我を負っても、馬にだけは傷を負わせないように、最大限の気を遣っていた。S婆さんは、1日の苦役を終えた後、地上で跳ね回る馬になりたかったのだろうか。
イギリスのアシントン・グループのフレッド・レイドラーは自らの絵筆によって、そしてS婆さんは上野英信によって、各々が抱いていた坑内馬への愛着や愛情を世に残した。
■炭鉱での過酷な労働環境は、現代の私たちにはとても想像し難い
機械化されず、全てが人の手によった、今から100年以上前になされてきた炭鉱での肉体労働は、現代の我々の想像が及ぶものではない。燃料としての「石炭」そのものすら、イメージできないのが現実だ。上野英信は明治時代に筑豊で働いていた老人たちを訪ね、聞き取りを重ねる中、多くの元女坑夫たちが、「あたきゃ(=私)、坑内にさがると気の狂いよったばい(狂っていたよ)!」と当時の思いをぶつけてくるのを何度も経験した。上野はそれを、「炭鉱とは、いいがたい屈辱と痛苦のはてにたどりついた『狂気の世界』であったのである。みずからを狂気と化すことなしには、生きることのできない極点であったのだ。そしてその暗黒の底の狂気の世界で、彼女たちは生きている自己を発見し、解き放つことができたのである。いっぽうではたえず光にみちた地上世界へのあこがれに肉を裂きながらも、彼女たちはさらに狂暴に、みずからの血をしたたらせて穿りぬいた『狂気の世界』にたてこもろうとしてもだえたのである」と分析している。