当時、炭鉱で働いていた炭鉱夫と炭坑馬の関係から考える命の重さや尊さ (2/6ページ)

心に残る家族葬

しかも鉱夫たちにアシントンの生活を体系的に描かせたり、政治的なテーマを描いた作品であっても、「プロレタリア美術」に仕立て上げさせることもなかった。そうした彼らは後にイギリス各地で個展を行い、多くの人々からの注目を集めた「アシントン・グループ」と呼ばれる芸術集団となっていった。そのグループのひとりであったハリー・ウィルソンは、聖職者で美術評論家のウィリアム・フィーヴァーに「ここじゃ、ただ食べるために働く以外のことを表現する手段が見つかる。好きなように息抜きできる感じ、それが自由の感覚になる」、「1枚描いたら、パネルやキャンバスの上だけじゃなくて、自分のなかで何かが起きたような気がする。しばらく達成感で嬉しくなる。なにか本物を作った気がして」と語っていた。

同じくグループの一員のオリヴァー・キルボーンは、「鉱夫たちがまるで丸太ん棒みたいな、労働に虐げられた存在として描かれるのにヘドが出るくらいあきあきしていた。俺たちはそんな描き方にもっとリアリズムを加えようとした…(略)…掘り出す鉱夫は掘るのが幸せ。運搬夫は運搬夫でそれに応えるのが幸せさ。すべて自分の身の丈でやっていた」と語っていた。

■炭鉱夫が残した炭鉱馬についての二つの名作

1950年代前後には、グループの創作活動は黎明期の情熱がなくなってきた。そんな折に新しくメンバーに加わったのが、フレッド・レイドラーだった。彼は最初の日に、城や老人男性を描いたスケッチを持って行った。すると、メンバーの1人がそれらを厳しく批評した。それに激昂したフレッドはその場を後にした。しかしまた、フレッドはその場に戻り、誰よりも熱心に絵を学ぼうとした。後にフレッドは、「戻って良かったよ。批評を受けるってことを学んだんだ」、「我々はお互い学び合ってきた。助け合い、批評し合ってきた。誰も怒ったりすることはなかった。これは素晴らしいことだと思う。それは害のない意見である」と、当時を振り返っている。

「当時、炭鉱で働いていた炭鉱夫と炭坑馬の関係から考える命の重さや尊さ」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る