田中角栄「名勝負物語」 第五番 小沢一郎(5)

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田中角栄「名勝負物語」 第五番 小沢一郎(5)

 「秘蔵っ子」としての小沢一郎をどう育てるか、具体的には内閣・党の中でどういうポストを踏ませて政治家としての階段を上らせるか、田中角栄は慎重に接したようだった。他の自民党若手議員を政務次官に登用しても、あえて小沢は“後回し”としたのである。獅子がわが子を谷へ落とし、這い上がってくるのを待つといった故事にも似ていた。

 ために、小沢は田中内閣では要職に就くことはなく、田中はあえて田中派の事務局長ポストに就けた。事務局長は派閥をまとめる事務総長を補佐する立場だが、実権はほとんどない。ただ、事務総長の下で何くれとなく汗をかいていると、派閥の人間関係が見えてくる。そのことにより、政治のイロハもぼんやり見えてくるのである。田中は小沢の将来を見据えて、事務局長を政治家への“スタートライン”とさせたということだった。

 一方で、事務局長は派閥議員の選挙の下働きをすることも、重要な仕事である。小沢は選挙通として聞こえた田中からの直伝の一方で、さらなるキメの細かい選挙の要諦を盗み取っていたのだった。

 選挙は「風」だけに頼っていて勝てるものではなく、地味な“ドブ板”戦術でどれくらい汗をかいたかが、勝つための基本となる。そのうえで企業や業界団体などに頭を下げてのテコ入れで、いささかの劣勢があっても挽回が可能だというノウハウを学んだのだった。当時の小沢を知る元田中派担当記者の証言がある。

「口の重い男だったが、企業、団体回りをよくやっていた。頭を下げるだけでなく、回ったあとは必ず丁寧な礼状を出していたのが印象的だった。後年、よく言われた『根回し不足』は、まるでウソみたいだった。これも、田中が平素からやっていた企業などの協力に対し、直筆の礼状を書いていたのを“門前の小僧”で見習ったものだったのです。

 昭和51(1976)年12月の小沢の3回目の選挙は、田中がロッキード事件で逮捕、起訴されたあとの『ロッキード選挙』だった。しかし、ここでも小沢は自分の選挙区に張りつくことなく、田中派若手議員などの応援に全力投球していたものです。ために、さすがに田中から、『バカ野郎ッ。そんなことをやっていたら、おまえは勝ち上がれないぞ』と一喝されていた。それでも、小沢は最後まで自分のスタイルを崩さなかった。

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