冥途もお供いたします…政略結婚にも愛はあった。武田家滅亡に殉じた悲劇のヒロイン・北条夫人【下】

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冥途もお供いたします…政略結婚にも愛はあった。武田家滅亡に殉じた悲劇のヒロイン・北条夫人【下】

前回のあらすじ 政略結婚にも愛はあった。武田家滅亡に殉じた悲劇のヒロイン・北条夫人【上】

時は天正五1577年、相模国(現:神奈川県)から坂東一円を支配していた北条(ほうじょう)家の姫が、甲斐国(現:山梨県)の武田勝頼(たけだ かつより)に嫁ぎます。本名不詳のため「北条夫人」と呼ばれました。

長篠の合戦(天正三1575年)で織田信長(おだ のぶなが)・徳川家康(とくがわ いえやす)連合軍に大敗して以来、斜陽となっていた武田家を再建するため、同盟の仲立ちとなったいわゆる政略結婚です。

それでも夫婦仲は円満で、先妻の子・武王丸(たけおうまる。後の武田信勝)らと共に幸せな新婚家庭を築いていきました。

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