大化の改新前後、激動の古代をリードした女帝・斉明大王は、日本の国家発祥の地ともいえる飛鳥京を造営した大王として知られています。
[中編]では、斉明が明日香に残した数々の巨大石造物について、その政治的な意図を含めてお話ししましょう。
※【前編】の記事はこちら↓
「石と水の都」を築いた飛鳥時代の女帝・斉明大王!益田岩船など飛鳥京造営の遺構に秘められた謎を探る【前編】 斉明女帝が造らせた飛鳥の石と水の創造物前編でお話しした通り、飛鳥京は「石と水の都」と称されています。これは飛鳥京を構成する際に、石と水を意図的に配置したことに由来するのです。
その中から益田岩船以外に、斉明大王が関わっていると考えられる石と水の創造物を紹介しましょう。
宮都防衛のための詰めの城「両槻宮(ふたつきのみや)」『日本書紀』によると斉明は、「田身嶺の周りを取り巻く石垣を施し、嶺の上の二本の槻の木のそばに観(たかどの)を建てたので、両槻宮と呼んだ。また、天宮(あまつみや)ともいった」と記されています。
さらに、「水工に渠(溝)を掘らせ、香久山の西から、布留の石上山に至る。