1487年(長享元年)9月12日、応仁の乱によって焼け野原と化した京都の町は、人々の熱狂で包まれました。
梨打ち烏帽子を戴き、紅金襴の直垂に身を包み、弓を手に矢を背負って、河原毛の名馬にまたがった一人の若武者が、万を超える兵を率いて都大路から堂々と出陣したのです。
この若武者こそ、美しい容姿から「緑髪将軍」と称された室町幕府第9代将軍・足利義尚(あしかが よしひさ)でした。その颯爽たる姿は、まさに威風堂々たる若き将軍そのものでした。
※あわせて読みたい記事↓
側室を全員追放!私腹を肥やしクーデターも!日本三大悪女のひとり「日野富子」の闇っぷりが凄まじい【前編】 ごちゃごちゃして分かりにくい!、室町時代「応仁の乱」発生のきっかけと経緯、その結末を総まとめ今回は【前編】【後編】の2回にわたり、足利将軍家の失地回復に命をかけた、若干23歳の若き将軍・義尚の悲劇的な生涯をご紹介します。
【前編】では、義尚が将軍に就任した当時の社会背景と、父・足利義政との対立についてお話ししましょう。