室町幕府の権威回復を一身に背負う!威風堂々たる若き緑髪将軍・足利義尚の悲劇的な人生【前編】 (8/8ページ)

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細川政元像(龍安寺蔵)

そして、1487年(長享元年)9月12日、義尚は諸大名を従えて京都を出陣しました。将軍自らが親征を行うのは、1391年(明徳2年)、明徳の乱における第3代将軍・足利義満以来、実に約100年ぶりのことでした。

足利義満像(鹿苑寺蔵)

義満は、室町幕府の最盛期を築き、中国の明からは「日本国王」と称され、天皇家の権威すら凌駕した将軍として知られています。一方、義尚もまた、応仁の乱を経た後にもかかわらず、多くの守護大名を動員することに成功しました。

こうした事実は、この若き将軍に対する諸大名の期待と憧憬の念がいかに大きかったかを示していると言えるでしょう。

では【前編】はここまでとしましょう。【後編】では、近江の陣営において親政を行う義尚を襲った悲劇についてお話ししましょう。

※山田康弘著 『足利将軍たちの戦国乱世』中央公論新書刊

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