室町幕府の権威回復を一身に背負う!威風堂々たる若き緑髪将軍・足利義尚の悲劇的な人生【前編】 (7/8ページ)
六角氏の居城・佐々木古城跡繖山観音山画図(Wikipedia)
しかし当時の慣例では、将軍自らが家臣の所領安堵のために出馬する必要はありませんでした。では、なぜ義尚は自ら先陣に立つ決断をしたのでしょうか。その背景には、父・義政に対する二つの意図があったと考えられます。
一つは、将軍家直参家臣の所領を守る戦いを自ら指揮することで、義政派に属する幕府家臣団を自分の側へ引き込むため。
もう一つは、京都を離れることで義政の政治的干渉を避け、近江の陣営において独自の親政を行うためでした。
義尚の号令に応じ、細川政元をはじめ、斯波・畠山の三管領、山名・一色・京極・大内・赤松・土岐といった全国の有力守護大名たちが兵を率いて義尚のもとに参陣。その兵数は万余に及んだと伝えられています。