室町幕府の権威回復を一身に背負う!威風堂々たる若き緑髪将軍・足利義尚の悲劇的な人生【前編】 (4/8ページ)

Japaaan

義尚の花押(Wikipedia)

こうして征夷大将軍として、政治を決済する資格を得た義尚でしたが、父・義政は将軍としての権限を、彼に全くといってよいほど与えることはありませんでした。

その理由は、義政の一方的な都合によるものだったのです。

いまに伝わる足利義政の人物像は、政治に興味を持たず、文化面に比重をおいた将軍ということになり、東山文化の創設者として、文化史の面では後世に高い評価を得ています。

すなわち、東山殿、後の慈照寺銀閣及び東求堂の書院造。宗祇らによる連歌(れんが)、雪舟らの水墨画。その他、茶の湯、生け花など、東山文化は現在に続く、さまざまな芸術を生み出しました。

銀閣寺(Wikipedia)

そしてついに、1477(文明9)年、11年にわたる大乱・応仁の乱が終わります。それとほぼ同時に義政は、東山殿の建設を開始。その建設には莫大な費用が掛かることは言うまでもありません。

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