【現代医学】ついに織田信長の死因が判明か / 本能寺の変で「一酸化炭素中毒」の可能性大 (1/7ページ)
こんにちは! 歴史好き女医の馬渕まりです。専門は代謝内科。脂質異常症や糖尿病などの生活習慣病が得意分野です。
・信長の野望の経緯
織田信長は天文3年(1534年)、尾張・織田信秀の嫡男として生誕しました。一応、その経歴を記しておきますと……。
信長が世に知られる契機となったのは、現代でもあまりに有名な桶狭間の戦いですね。隣国・今川義元の首を討ち取り、間もなく尾張を統一すると、美濃から京都へ上洛して畿内を制圧。多方面の敵から幾度も包囲網を敷かれながら、それでも最終的には北陸、中国、山陰、関東地方を制覇すべく重臣たちを派遣させておりました。
・日本史上まれに見るド派手な反逆事件
そんな、全国の「天下布武」を仕上げている最中に起きたのが、日本史上まれに見るド派手な反逆事件。そうです、本能寺の変です。変なおじさんではありません。いちごパンツ(1582年)の本能寺で覚えておられる方もいるでしょうかね。

・光秀は言い訳できず
主犯は、これまた皆さまご存知でしょう、明智光秀さんです。本能寺の変と言うと、まずはそこに焦点が当てられがちですが、確かな史料にその記述は見られません。クーデター首謀者にして敗者の光秀には言い訳の場など一切与えられず、無残に殺されてしまったのも影響しておりましょう。
・蘭丸から連絡きたってよ
今回は、ともかく信長さんの死を検案せねばなりません。そこで現代に伝わっている主な説をもとに、事件前日の様子から振り返ってみますと……。
1582年6月1日(旧暦)の夕刻、光秀は1万3000の兵を率いて亀山城を出立しました。「敵は本能寺にあり!!」なんて部下たちに堂々と宣言……するワケありません。光秀は以下のように説明したという話がございます。