舛添知事が27年前に語った言葉「カネにまつわるスキャンダルが民主政治の質を低下させる」 (1/2ページ)
舛添要一東京都知事が「炎上」している。
海外出張の際には1泊10万円以上の高級ホテルに宿泊、1回の視察の出張費はなんと5000万円以上におよぶこともあると報じられると、世間からは「豪遊ぶりがすごい」「税金のムダ遣い」という声があがった。
さらに、毎週末湯河原町の別荘に行くための交通手段として公用車を使っていたことに加え、2013年1月と2014年1月の2回にわたって、家族旅行の費用計37万円を「会議費用」として処理した疑いがあるとして、政治資金規正法違反の疑いも持ち出されている。
■舛添知事の過去の著作を掘り起こすと…。
確かにスゴイお金の使いぶりだが、これは舛添知事の政治的な信念によるものだと解釈できるかもしれない。
というのも、1989年刊行の『賤業としての政治家』(飛鳥新社刊)の中で、政治家が「庶民性」を打ち出すことについて批判を展開しているのだ。
=====(書籍59ページより引用)
戦後の日本のような大衆社会では、「庶民」というイメージが物を言う。小学校卒の田中角栄が東大卒の福田赳夫に抵抗するときのイメージ操作は、「庶民性」を活用することにあった。カネと暇のあるのは貴族であり、だからこそ「虚業」としての政治にたずさわることができる。「庶民」とは「実業」の世界に生きる人々である。政治家にとって「庶民性」の強調が不可欠になると、政治もまた「実業」化せざるをえない。そこにもまた、政治が「賤業」化する契機がある。
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「庶民性」は政治家にとってアピールポイントにはなるが、それは同時に強力なリーダーシップや権威を否定することになりかねず、衆愚政治に堕ちてしまう可能性がある。その点を舛添知事は指摘している。
■政治は「高貴な」仕事であり、一つの「遊び」である。
舛添知事は本書の中で、政治は「高貴な」仕事、「貴業」と呼んでいる。政治は社会のさまざまな利害を平和的に調整し、一つの政策にまとめあげる役割を担う。