武将スーツ第4弾・薩摩隼人の勝負服!島津義弘スーツで鹿児島を盛り上げる!ビジネスマンの甲冑はスーツだ。薩摩ボタン・大島紬など鹿児島の素材を使用! (7/12ページ)
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■こだわり:大島紬の伏兵チーフ
大島紬(おおしまつむぎ)は手で紡いだ絹糸を泥染めし、手織りした平織りした布、あるいはその布で縫製した和服を指します。
鹿児島県奄美大島の特産品である大島紬が薩摩の記録に登場するのは1720年、薩摩藩の指示により、島役人以外の着用を禁じるというもので、薩摩藩の重要な財源となっていた事が伺えます。古くは734年に、奈良東大寺の献物帳に記録されている1300年以上の歴史がある日本が誇る織物です。
従来のスーツでは袋地が縫い付けてあり普通のポケットになっていて、フォーマルな場ではシルクのチーフを胸に挿します。島津スーツではこのポケット地に贅沢にも大島紬を使用、つまんで取り出し、ポケットチーフにすることができ、商談や重要な会議の場でも簡単にドレスアップが可能。こちらも島津家得意の伏兵戦術にならいました。
※大島紬は生産時により生地が変わる可能性がございます。
■こだわり:鶴丸城モチーフのポケットフラップ(フタ)
関ヶ原の戦いの後、18代当主家久(忠恒)によって築城された鹿児島城の別名。鹿児島では一般的に別名の「鶴丸城」の名で親しまれ、案内図や看板なども「鶴丸城」の表記でほぼ統一されているほどです。この名の由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたようであったことから付いたとされます。
鶴丸城にちなんで、ポケットフラップの裏地には鶴の織柄が入った純白の西陣織を使用。鹿児島の素材ではありませんが、西陣織の由来にもなった応仁の乱では島津家は事実上、東西に分かれて参戦、10代当主の立久が東軍、叔父の季久が西軍に属し、どちらが負けても家が存続するようにしていたためであると言われています。