武将スーツ第4弾・薩摩隼人の勝負服!島津義弘スーツで鹿児島を盛り上げる!ビジネスマンの甲冑はスーツだ。薩摩ボタン・大島紬など鹿児島の素材を使用! (4/12ページ)
島津家に所縁の深い、仙巌園・尚古集成館を訪問して参りました。
島津家28代当主島津斉彬公から始まったとされる集成館事業の一環として、1923年5月22日に開館した「尚古集成館」を訪ねました。こちら、現在は島津興業によって運営され、島津家に関する史料や薩摩切子、薩摩焼などが展示されています。
今日、よく見かける丸に十の家紋は、江戸時代以降に使われたものだそうで、当時はこの十字紋だったそうです。仙巌園に飾られている島津義弘公の鎧にも丸十が描かれていますが、当時の文献からわかりうる範囲での復元とのこと、より伝わりやすくするためとご説明を頂きました。
[資料: https://files.value-press.com/czMjYXJ0aWNsZSM0MzEyNiMxNzAzNDAjNDMxMjZfRGhsYld0enJQby5qcGc.jpg ]
今回、スーツにメインの織りネームはこの十字。島津家の家紋には3種存在するそうですが、一番有名な十文字紋は初代・島津忠久が源頼朝から授かったものとされ、お馴染みの丸がない十字紋であったそうです。これは、2匹の龍をかたどったという言い伝えの他、1189年の奥州藤原氏攻略の際に源頼朝が箸で十字の形をつくってこれを家紋としたという言い伝えも。
島津家の初代忠久所用と伝えられる鎧や、蒙古襲来時の絵などに十字紋の旗が描かれていることから鎌倉時代には家紋として使用していたことが伺えます。これが16~17世紀頃に丸十文字紋へと変化するが、その具体的な変化時期や理由は明らかになっていないそうです。【織りネーム監修・協力:戦国魂】
上記の織ネームを着けたサンプルを持って鹿児島・島津興業の方々にスーツを見て頂き、ご意見を賜る機会に恵まれました。
モチーフが島津義弘の時代であるなら当時の十字と少し形状が異なるというご助言を頂き、襟裏の刺繍は尚古集成館様から頂戴した十字を採用。